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流経大柏高校ラグビー部の紋章

 ”ヨーソローの起源” by たたみかけマニア
 
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投稿日: 2005年12月5日 投稿者:たたみかけマニア

ヨーソローの起源

今から2年ほど前、流通経済大学付属柏高等学校ラグビー部応援サイトに「たたみかけの起源」なる文章を投稿しました。きっかけは、一時封印されていた伝説の応援「たたみかけ」の哲学と精神が再び部員父母の間で蘇りつつあったからであり、中途半端に「たたみかけ」を認識してもらうのは忍びなく、どうせなら原点を知って頂こうと考えたからに他なりません。

今回は、昨年の第84回全国大会(花園)で満を持して解禁となった伝説の応援PART2「ヨーソロー」について紹介したいと思います。

「たたみかけの起源」からおよそ2年、再びピカレスク小説タッチで「ヨーソロー」の紹介を行うことになったきっかけは、先日、私にかかってきた1本の電話でした。電話の相手は日本ラグビーフットボール協会の強化委員会強化副委員長としてラグビー日本代表の強化を裏で操っている大物フィクサーであり、私の物書きの師でもありました。

大物フィクサー
「おい、お前!変な文章書いて、インターネットに載っけてるな。なんなんだあれは?」
私        
「えっ、なんのことですか??」
大物フィクサー
「なんか知らんけど、“たたみかけ”がどうだのこうだの・・・」
私        
「・・・あっ、あぁー、あれですか!“たたみかけの起源”のことですねっ!
          あれは、ずっと前に軽ぅーく書いたものですよ。」

大物フィクサー
「まっ、まあ、そんな話はどうでもいいや。ところで本題はな・・・」

たわいない会話でしたが、私は受話器から漏れる大物フィクサーの声の動揺を聞き逃しませんでした。

この時、私は「たたみかけ」というキーワードに過敏に反応し、聴覚を息子が初めて彼女を連れて来た時にお菓子を運びつつ息子の部屋の前でドアに耳を当てる主婦並みに切り替え、誘拐犯の脅迫兼身代金要求電話の声帯分析を行う警視庁の特殊班並みの集中力で、大物フィクサーの声を聞いていたのです。
「そんな話はどうでもいい」などと言っていましたが、何かのきっかけで「たたみかけの起源」を目にした大物フィクサーはその内容の克明さとパワーに腰を抜かしたのでしょう。大物フィクサーが文章を読んだ後、実際に伝説の応援「たたみかけ」が誕生した時に現場にいた一人として回想の旅に出ていたことは想像に難くありません。そして、その後気づいたら私に電話をかけていたのでしょう。初めて悪さをしてしまった子供が、いてもたってもいられなくなり、親にすべてを告白してしまうのと同じように、大物フィクサーは衝動的に私へ電話をかけてしまったのです。大物フィクサーは電話を切った後、暫しの放心状態を経て、全身が痙攣したに違いありません。「たたみかけ」に関することを脳内で処理する際の私は、名探偵ポワロが三流スポーツ新聞の競馬予想屋に思えるほど、正確で核心をついた推理を展開します。

 さて、流れに任せて書いた
「たたみかけの起源」がそこまでのパワーを持ってしまったことに恐怖を感じつつも、大物フィクサーからの電話が「ヨーソローの起源も書け!」という天啓であったことを悟った私は、寝る間もないほどの雑務に追われる中「ヨーソローの起源」を執筆する決意をしたのです。

余談ですが、私はその大物フィクサーのことを、未だにゴッドファーザーと呼び敬慕しています。(ちなみに何度かラグビー日本選抜に選出されている現リコーブラックラムズのSH後藤崇志の父親も語感が類似していることから、ひそかにゴッドファーザーと呼ばれています。ラグビー観戦の際には赤と白のしましまのジャパンの桜のジャージを着用し、私顔負けの大声でシャウトし、会場をざわつかせる大物です。)

 前置きだけで、前回の
「たたみかけの起源」の文章量を超えてしまいましたが、これから伝説の応援PART2「ヨーソロー」について紹介させて頂きます。
流通経済大学付属柏高等学校ラグビー部の応援団を結成したのは、今からおよそ2年前、「たたみかけの起源」を投稿した少し前の第83回全国大会(花園)の時でした。流通経済大学付属柏高等学校ラグビー部の監督は以前から応援団を結成する願望を持っていたらしいのですが、肝心の応援団長適任者がおらず、花園に行くと完全に試合に集中してしまい、数少ない部員は水出し等の試合のサポートに回ってしまうため、これまでは結局応援団を編成できずじまいだったのです。

 しかし、近年徐々に部員数も増えつつあり、マネージャーの仕事体系も整備されてきたため、試合に出ない部員を応援に回すことが可能となり、また、
「たたみかけ」のパイオニアである私の獲得にも成功したため、満を持して応援団の結成に至ったのです。ところが、結成した応援団は、人数も少なく、寄せ集めで経験値も浅い、まさに即席へっぽこ応援団でした。サッカー部のように試合に出ない部員が100名以上いれば、当然パワフルな応援が可能となり、どのように応援してもそこそこの迫力が出るのですが、花園で応援を行うラグビー部の応援団は如何せん人数が少なくへっぽこすぎました。流通経済大学付属柏高等学校ラグビー部の応援団の人数は、概数で部員20名・父母30名・OBやOB父母20名・一般生10名といったところで、多く見積もっても100名を超えることはごく稀なのです。

 他県の代表校では遠隔地であっても応援バス10ー20台は珍しくないという状況の中で、流通経済大学付属柏高等学校のラグビー応援バスに限っては、毎年1台出るかでないかギリギリのラインであるというのが実情です。試合を勝ち進むにつれ、宿泊費の加増や年末年始の諸行事のため、応援者は離脱し、ますます寡兵応援団となってしまうのです。一般生の応援が10名にも満たないような代表校は全国でも数えるほどしかないのではないでしょうか。(ひょっとしたら全国最小人数かもしれません。)応援に来る一般生は愛校心に満ち溢れていてスポーツが好きな生徒か、部員の彼女とその友達の生徒くらいのもので、当然いまどき冬休みを潰してまで大阪に来る生徒はまずいなく、競技の特性上どうしてもゴリラ系やピグモン系の部員が過半を占めるラグビー部員の彼女など多くはいないため、結局10名にも満たなくなってしまうのです。

 その100名にも満たないへっぽこ応援団の中で、しっかりと大きい声で応援するのは部員20名と数名の気合の入った父母くらいのもので、大仰に100名の応援団といっても実数は30名以下でありました。その超寡兵応援団で地元大阪の高校と対戦する時は、悲惨な状況になります。地元の高校の応援団の人数は、概数で部員100名・父母200名・OBやOB父母200名・一般生300名・地元のファン100ー1000名といったところで、どんなに少なく見積もっても1000名は超えるのです。

 その寡兵へっぽこ応援団であっても流通経済大学付属柏高等学校ラグビー部の応援団は
「たたみかけ」の精神を継承している以上、全国最強でなくてはなりません。伝説の応援「たたみかけ」のパワーは計り知れません。たとえ、一人で「たたみかけ」をやっても相手の応援団に勝つことはできます。(私はトップリーグでプレーする先輩や同級生や後輩の試合を観戦しに行くと、単独で「たたみかけ」を行います。「たったみっかけぇ!→えいしっ!→たったみっかけぇ!→えいしっ!→たったみっかけぇ!→えいしっ!→りゅーつーけぇーざぁいたったみっかけぇぇぇー!うわぁぁぁー!!!」単独であっても「たたみかけ」のパイオニアである私がそれをやると会場中の人間がその迫力と声量と危なさとたたみかけっぷりに驚愕し、おそれおののきます。)しかし、「たたみかけ」の目的は、敵味方関係なくすべてに圧倒的にたたみかけることにあります。そうすることによって、それが味方には追い風になり、敵には向かい風になり、スタンド全体のテンションが上がり、会場のおでんやビールの売り上げが倍増し、延いては日本経済の好転にも繋がるのです。ただ単純に相手応援団に勝つためだけのものではないのです。そういう観点から「たたみかけ」を考察すると10倍以上の応援団がいる相手との試合で「たたみかけ」のみで、たたみかけることは難しくなってきていました。そこで我々は悩みに悩み、考えに考え、話し合いに話し合い、どんなに寡兵であってもへっぽこであってもへなちょこであっても雑魚であってもミノムシであってもシラミであっても全国最強の応援をするための七つの原則を作りました。

一.「たたみかけ」の要素を含んでいること

 ⇒これは、流通経済大学付属柏高等学校ラグビー部の応援団の応援としての第一義的要件であります。

二.単純であること

 ⇒一人でも多くの人間を応援団に取り込むためには、事前練習をしておらず試合当日観戦しに来たOB父母なども参加できるような覚えやすい応援が好ましいのです。

三.応援はMAXシャウト可能なメロディとフレーズであること

 ⇒いくらカッコ良くて迫力のある応援でも、スタンド中に響かなければ意味を成さないので、思いっきり大きい声が出せる高さのメロディとフレーズを選ばなくてはなりません。(この場合、男性と女性でMAXシャウトできる高さに違いがありますが、そこは最大の発声部隊である部員達のレベルに合わせることにしました。)

四.他校にはないものであること

 ⇒ラグビー界に古くからある
「おぉーせぇー、おぉーせぇー、おぉっせぇおっせOOOー」・「いっけぇー、いけいけいけいけOOOー」・「OOのトライが見たい、みたい、見たい、みたい、見たい、みたい、OOのトライが見たい、それっ見っせってやっれぇー」などのような使い古された応援で、伝統校と同じ土俵で応援をするのではなく、我々は別の次元で他校を圧倒しなければなりません。

五.手拍子や動きを伴うものであること

 ⇒少人数でより大きい音を生むためには、声だけでなく使えるものはすべて使うべきです。手拍子やメガホンを叩くことで音を出すのはもちろん、足をバタつかせて振動を起こすことで、迫力がアップしますし、怪しい動きを取り入れることで一般人やテレビの解説者などを警戒させることも可能となります。

六.地元ファンや酔っぱらいおやじを味方につけるような応援であること

 ⇒どこかで聞いた格言ですが、出る杭は打たれても出すぎてしまった杭は打たれないものです。圧倒的な迫力とインパクトでたたみかければ、100ー1000名と上述した敵方に計算していた地元のラグビーファンも味方に付いてくれるはずです。実際、昨年や一昨年の全国大会(花園)での応援でもチャンスに
「たたみかけ」でたたみかけまくったところ、地元のおじちゃんやおばちゃんが一緒に手拍子をとってくれ、試合後には私に「おう、兄ちゃん!たたみかけってオモロイな!でも、来年はレギュラーになって試合に出ろよ!」と声をかけてくださいました。(あと数年経って私の頭が完全に禿げ上がれば、高校生に間違われることはないでしょう。)さらにゲーム開始時には流通経済大学付属柏高等学校ラグビー部の応援団に対し「くらぁー、試合が見えねーじゃねーか、くそガキども!」・「うるせーんだよ、おおっ!」・「じゃかましいやい!こらっ!」などと罵声を浴びせてきた爬虫類系の酔っぱらいおやじが徐々に我々の応援の虜となり、試合後半には一緒に手拍子をとって応援団と一体化し、挙句の果てにはトライをとった際に応援部員と抱擁するという事態にまで発展したこともあります。

(こういった罵声を専門とする酔っぱらいおやじのポケットには例外なくワンカップ大関が入っています。)先日、印西市の松山下公園陸上競技場で行われた県予選の準決勝後に敢行した部員・父母合同の応援練習の際も、夏の夜に照明に引き寄せられる昆虫のごとく、我々の応援の声に引き寄せられた両生類系の酔っぱらいおやじが「そんな声じゃ、足りねーんだよ!こらっ!俺の声の方がでけーぞ!おい!聞いてんのか、おい!こらっ!おいっ!こらっっ!おいーっっ!」などと我々にわめき散らしていました。

 しかし、そんな危険指数90を超える酔っぱらいおやじも、応援練習直後には私のところにすり寄ってきて握手を求め「おい監督!おめぇが一番気合入ってる!俺はおめぇに士道を見たね!」というセリフを8セットほどリピートした後、「ここは俺の庭みてぇなもんだから、いつ使ってもいいぞ!言っとくけど、ほかの奴にはそうはいかねぇからな!」と決めのセリフを吐き、決まりすぎた自分のセリフとアルコールに酔いつつ、がに股歩きでその場を去っていきました。この酔っぱらいおやじのポケットからワンカップ大関が覗いていたことは言うまでもありません。・・・と、まあ、解説が長くなりましたが、地元のラグビーファンや酔っぱらいのおやじを味方につけるほど、パワーと迫力の溢れる応援である必要があります。

七.父母に対して声を出すようプレッシャーをかけること

 ⇒この原則は、一から六までの原則とはやや異なり、応援の種類や応援の形態に関するものではありませんが、たたみかけるためにはとても重要です。自分の息子が試合に出場している場合、普通は胸がいっぱいで声が出ないものです。また、試合観戦中は誰もが「監督」や「評論家」になっている場合が多く、戦術や選手起用についてあれこれ思案し、分析などを行ってしまうものです。さらに、父母は高校生にもなる子供のいる親であり、大人です。

 このような要素を持つ父母たちは
「たたみかけ」「迫力」どころではありません。胸がいっぱいだし、試合をじっくり観たいし、「たたみかけ」などと下品な大声を出すなんてとんでもないに違いありません。しかし、しかしです!どんなに祈っても、どんなに的確な分析をしても、どんなに紳士的な観戦者であっても、その時試合をしている選手たちに勇気とパワーを与えることはできないのです。試合を観るだけなら、後でテレビを観ればいいのです。グラウンドにいる選手たちにわずかでも貢献し、勇気を与え、パワーを送るには応援でたたみかける以外に方法はないのです!!応援団結成当初はそういった父母の心情を酌み、声出しや手拍子の過度なプレッシャーをかけることは控えました。しかし案の定20名足らずの応援部員では、選手たちに充分な勇気とパワーを与えることはできませんでした。やはり、応援部員より人数の多い父母の協力は不可欠だったのです。

 そこで、気合を入れてグラウンドで戦う選手たちに勇気とパワーを送ることは、巡り巡って試合での勝利という形で父母にも還元されるはずだという理屈のもと、昨年の第84回全国大会(花園)の3回戦では試合前に父母の同情心と闘争心をくすぐるような目を持つ応援部員を選抜し、
「僕たちだけの応援では声が届きません。一緒にお願いします。」と言いながらメガホンを手渡すことにしました。この時、メガホン手渡し部隊の応援部員の目をパプアニューギニアの農村の子供のように澄んだものに仕上げるため、「メガホン手渡し練習」に費やした時間は4時間を越えます。

 さらに応援の際は応援部員を二手に分け、父母を挟む陣形をとりました。同情を誘うだけでは足りません。アメとムチ。甘い囁きと罵声。美しい歌声と奇声。後ろと前。応援部員たちの後ろからの声のプレッシャーによって、父母の応援ボルテージの維持を試みたのです。その結果、70名足らずの流通経済大学付属柏高等学校ラグビー部の応援団は、軽く1000名は超えるであろう地元大阪の強豪大阪工業大学高等学校ラグビー部の応援団を圧倒し、たたみかけまくることに成功しました。しかしながら、初めての完全一体型応援だったため、予想以上にエネルギーを消耗してしまい、最終的に試合には負けてしまいました。応援団員用の水分補給ドリンクとしてエネルゲンを用意しなかったのが敗因だったと思われます。ともあれ、父母に声出しのプレッシャーをかけ、部員・父母一体となった応援をすることは勝つための絶対条件なのです。

 私は連日瞑想に耽りました。残念ながらこの私には新たにメロディーとフレーズを創作するほどの才能はありません。既存のメロディーとフレーズを改良し、上記の七つの原則を満たすことのできる応援を編み出そうと努力しました。しかしながら、編み出し作業は困難を極めました。あんな無茶な七つの原則を網羅できる応援など簡単に編み出せるはずがありません。まさに五里霧中・暗中模索の状態でした。

 そんなある日、私は2004年の8月21ー22日に鹿児島県の桜島で行われた長渕剛のオールナイトコンサートのDVDを発売日に購入し、当日の回想に耽りながら見入っていました。(小学生の頃から長渕剛のファンであった私が、8月21ー22日に業務を放棄し、桜島にいたことは言うまでもありません。)そのコンサートは鹿児島の活火山桜島に日本全国から7万人を集めて21日の夜9時から22日の朝6時まで9時間に渡って敢行された壮絶なものでした。真夏の長時間のコンサートだったため、熱中症や脱水症状で会場内や周辺の救護所で手当てを受けた観客は1000名を超え、救急車や医療施設はパンク状態であったと翌日の新聞に載っていました。

 逆境で力を発揮する私は
「たたみかけ」の精神で自分の周辺の観客を仕切って鼓舞し、自分はもちろん、他人にも最後まで声を出させ続けました。救護施設に運ばれた観客の多くが、運悪く私の近くの席のチケットを購入してしまった人々であることは言うまでもありません。コンサートの時間だけで9時間もあったのですが、鹿児島まで飛行機や新幹線を乗り継いで行き、鹿児島から桜島まで奴隷船のように人間でごった返したフェリーで移動し、桜島に着いてからも亜熱帯である九州の真夏の茹だるような暑さの中、会場まで2ー3時間かけて徒歩で移動し、さらにコンサート終了後も汗でベタベタのまま不眠で同じ行程を戻らなければならないというハードなイベントでした。(ちなみにちょうどこの1年後の2005年8月21ー22日、私は嫌々同じようなハードイベントである徹夜の富士登山に付き合わされていました。)

 ブランデーを飲みながら、コンサートのDVDの世界に入り込んでいた私は、その一番最後の曲「Captain of the ship(キャプテン・オブ・ザ・シップ)」の
「よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー」のフレーズを聞き、思わず「こっ、これや!!!」と大声をあげてしまいました。それも関西弁で。私はこの時初めて興奮すると関西弁が出てしまうことを知り、流通経済大学付属柏高等学校ラグビー部の監督が時折みせる関西弁の意味を理解しました。
そのひらめきさえあれば、「ヨーソロー」を応援の形にするのは、簡単なことでした。

 (低い声で)
「よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー」
→(1オクターブ上げて)
「よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー」

→(手拍子と足のバタつかせとのセットで)
「はいっ、はいっ、はいっ」

→(手拍子と足のバタつかせとのセットを継続したまま)
  
「ヨーソローぉ、りゅうけいっ、ヨーソローぉ、かしわっ、ヨーソローぉ、りゅうけいっ、ヨーソローぉ、かしわっ」

→(拳を天に突き出しながら)
「はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ
  (グラウンドにいる選手たちにパワーが伝わるまでリピート・中略)
はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ」

→(メガホンを頭上で振り回しながら)
 
「うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい
 (スタンドの観客が「いつまでやるんだろう?」と思うまでリピート・中略)う
おぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい」

→(団長のジャンプのタイミングに合わせてメガホンを振り下ろしながら)
「んはいっ!!」



  YouTube(動画)に差替えました。(20112年4月12日)

 文章にしても全く分からないと思いますが、このようにして、七つの原則に則って誕生したのが「たたみかけ」に次ぐ伝説の応援PART2
「ヨーソロー」なのです。そもそも「ヨーソロー(宜候・良候・ようそろ)」とは、船乗りのかけ声であり、「舵をきらず真っ直ぐ進め」というような命令として使われたほか、了解・開始などの合図として軍隊に於いて使われた言葉で、水上艦艇だけに留まらず、潜水艦の乗組員や航空機の搭乗員などでも広く使われたものだったそうです。

この
「ヨーソロー」をデビューさせたのは昨年の第84回全国大会(花園)の初戦高鍋高等学校戦でしたが、実は試合の前日に応援部員を引き連れて、奈良で練習した時が「ヨーソロー」の解禁でした。レギュラーメンバーたちが休憩している時間に応援部員たちはハードな応援練習を行います。それはチーム一丸となって勝利を勝ち取るため、至極当たり前のことです。さすがに宿舎の目の前で応援練習をしてしまうとレギュラーメンバーの心地よいシエスタの邪魔をすることになってしまうので、宿舎からなるべく離れた場所で練習します。その日は、古代の豪族藤原氏の氏寺であり、法相宗の大本山である興福寺の裏で応援練習を行いました。応援部員たちに「ヨーソロー」のやり方や哲学やコンセプトを2時間以上かけて手取り足取り腰を交えて詳しく説明した後、声をMAXにして「ヨーソロー」を解禁させました。

「よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー→よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー、よぉーそぉろぉおぉー→はいっ、はいっ、はいっ→ヨーソローぉ、りゅうけいっ、ヨーソローぉ、かしわっ、ヨーソローぉ、りゅうけいっ、ヨーソローぉ、かしわっ→はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、

はいっ→うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい、うおぉぉーい、うわぁぁーい→んはいっっっ!!」


 初のMAX「ヨーソロー」にかなりの体力を消耗しましたが、閑静な古都奈良に我々の迫力満点の声が響き渡りました。「ヨーソロー」をやっている時の応援部員は皆、バブル全盛期のジュリアナ東京のお立ち台の下でよだれを垂らしながらはしゃぐサラリーマンになっていました。「ヨーソロー」をやっている時の応援部員は皆、万馬券を当てた時の競馬狂のおやじになっていました。「ヨーソロー」をやっている時の応援部員は皆、覚醒剤でトリップしているラリ男になっていました。この狂乱の事態に、休日を利用して奈良にやってきた観光客が腰を抜かしていました。ソフトクリームを食べながらデートしていた高校生カップルのソフトクリームがコーンから落ちてしまいました。初めて見る本物の変態に興味を抱いて我々を指差す幼い子供の手を
「見ちゃだめよ!」というお決まりのセリフとともに親が必死に制止していました。長期休暇を利用して日本へ観光に来ていたイギリス人旅行者が日本古来からある宗教的催しだと思い込みビデオカメラで撮影していました。ポケットにワンカップ大関を入れた酔っぱらいのおやじが群がってきました。

・・・・・と、次の瞬間、そのすべて人々の視線が我々とは違う方向に向きました。人々は皆、目ん玉をひん剥いて我々の斜め後方を凝視しているのです。我々も慌てて斜め後方を振り返ってみると、なんと、奈良の名物であり、癒しの象徴である放し飼いの鹿たちが、初めての「ヨーソロー」に驚き、群れをなして一斉に走り出してしまったのです。初の「ヨーソロー」をやり終え、テンションの上がっている私は、思わず
「ぬぅぉりゃぁぁぁ!!!」という咆哮とともに、その鹿の群れに向かって走り出してしまいました。

「ヨーソロー」直後の私は誰にも止められません。ボスである私の動きにつられた応援部員たちも
「きえぇぇぇ!!!」という奇声とともに私の追走に追従してきました。興奮して逃げる鹿の群れ。興奮して追う応援団。我々はインパラカモシカをハンティングするチーターのごとくスピーディーに、闘牛士の赤い布めがけて猛突進する闘牛のごとくパワフルに、女子高生を尾行するストーカーのごとく執拗に、鹿の群れを追いかけました。大声を聞いただけでもたまげていた鹿たちはさらにたまげ、トップスピードで逃走し、そのまま道路に飛び出しました。道路を走り回る50頭以上の鹿の群れ・・・『奈良の国道を鹿が暴走!』翌朝の新聞の見出しが頭に浮かび、私はわれに帰りました。手にメガホンを持ったまま、奇声を発しつつ鹿を追いかける野生化した応援部員たちを何とか食い止め、覚醒させ、カルムダウンさせ、一緒に元の場所に戻りました。鹿と我々を驚愕と好奇のフィフティーフィフティーの目でチラ見する一般ピープルやデンマーク人やカナダ人たちがざわつく中、顔を真っ赤にし、禿げた額に血管を浮かび上がらせた寺の管理人らしき人物が我々の元へ詰め寄ってきました。

 管理人
「あっ、あなたがたは、いっ、一体何をやっているのですかっ!きょっ、許可はとっているんですかっ!」
 私  
「いっ、いえ・・」
 管理人
「大きな声出すと、鹿が驚くのでやめてくださいぃ!」
 私  
「はっ、はい、申し訳ありませんでした・・」

管理人の声は怒りに震え、裏返っていました。10対0でこちらに非があるのは明白であり、言い訳の余地はないことから、私はハラビロカマキリに脅えるウスバカゲロウのごとく弱気にふるまい、教会の牧師に懺悔の告白をする敬虔なクリスチャンのごとく誠実に謝罪しました。幸い鹿の暴走による人や自動車との接触事故等は起きませんでしたが、一歩間違えば大変な惨事になるところでした。私は猛省しなければなりません。しかし、その時の私は事態の重大さと罪悪感に苛まれつつも、
「やってやった!」という高揚感と満足感に満ち溢れていました。

その後、我々は応援練習の場所を移し、様々な場所を転々としましたが、どこに行っても1時間くらい経過すると近所の住民の通報を受けて駆けつけた警察官から職務質問を受けたことは言うまでもありません。これで、
「ヨーソロー」のパワーがどれだけのものか多少はお察し頂けたと思います。他にも色々な応援がありますが、今年も「たたみかけ」「ヨーソロー」を柱に、たたみかけまくり、全国最強の応援を1月7日まで続けたいと思っています。

今回も「ヨーソローの起源」を紹介しているうち、内容がオーバーになると同時に自分自身でも歯止めが効かなくなり、悪乗りがエスカレートしてしまったことをお詫び申し上げます。また、この文章は完全なる自己満足の結晶であり、その域を数ミクロンも出ないことはよく認識しております。もしもこの文章が私の物書きの師である大物フィクサーの目に留まってしまったら、おそらく私は破門されるでしょう。しかし、そのリスクを背負いつつもこれを世に出さずにはいられませんでした。事実を元に書いてはありますが、フィクションとして軽く読み流して頂けたら幸いです。

2005年12月5日

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